榛名山のなかほどに位置する伊香保温泉は、365段の石段が有名な、400年もの歴史ある温泉です。万葉集にも歌が詠まれているほか、竹久夢二などの文化人に愛されたことでも知られています。伊香保温泉は、歴史と芸術を感じることができる温泉です。
目次
万葉集にも記されている「伊香保」
和歌に込められた想いを現代に
石段を上った榛名山のなかほどに位置する伊香保温泉は古い温泉として知られ、その歴史は400年以上といわれています。伊香保に温泉が発見されたのは天平時代という説もあれば、垂仁天皇の時代という説もあります。いずれにしても、伊香保温泉は南北朝時代の書物にはすでに登場しており、湯が湧いていたという記述があります。このことからも、如何に古い温泉であることがうかがえます。伊香保温泉は、万葉集にも歌が残っています。万葉集のなかで群馬を詠んだ歌25首のうち、伊香保温泉を詠んだものは9首もあります。当時の伊香保とは榛名全体を指したようですが、その眺めから見える虹に思いを重ねたものや、恋しい人を思う気持ちが切々と詠まれているものばかりです。万葉集に収められた歌ひとつとっても、伊香保温泉の400年以上もの歴史を汲み取ることができます。
石段街の原型が作られたのは「長篠の戦い」がきっかけ
実は療養施設でもあった伊香保温泉
伊香保温泉といえば、石段が有名です。全部で365段ある石段の両側には、土産店や饅頭屋、遊技場が並び、温泉街らしい風情が十分にあります。現在の石段は、昭和55年に大改修されたものがベースになっていますが、この頃から石段にはみかげ石が使用されています。
伊香保温泉の石段も、その歴史はかなり古いものです。現在の石段の歴史をさかのぼると、戦国時代に辿り着きます。天平3年に起こった「長篠の戦い」は、織田信長と徳川家康の軍勢と武田勝頼の軍勢による合戦ですが、その時に負傷した武田兵の療養に利用されたのが伊香保温泉だとされています。当時は、まだ現在のような温泉街という形はできておらず、療養所として使うために整備させ、その時にこの石段も一緒にできたといわれています。この頃には、石段を中心にした現在のような温泉街の形ができていたのです。
多くの文人・文化人が伊香保温泉に訪れるようになる
今なお受け継がれる先人の知性と感性
伊香保温泉は、戦国時代から続く宿もまだいくつか営業しています。江戸時代からは、遊興的な要素を兼ねて訪れる人も増え、明治以降は歴史にも名を残す著名な歌人や作家といった文人が訪れています。夏目漱石や与謝野晶子、土屋文明などもそうですが、「不如帰」を著した徳冨蘆花は、時間があれば伊香保温泉を訪れるほど気に入っていたといわれています。それ以外にも、伊香保温泉には多くの文化人が訪れており、少女画で知られる画家の竹久夢二もそのひとりでした。夢二はある少女からの手紙で伊香保温泉を知り、訪れる機会を得てからはすっかり気に入ってしまったそうです。夢二は、榛名湖のほとりに住居兼アトリエを建造し、美術学校の夢まで膨らませていたといいます。残念ながら、夢半ばで他界しましたが、現在も榛名湖のほとりに夢二のアトリエが復元されています。
2010年に石段が増設され今の姿に
400年変わらない石段と豊かな楽しみ方
戦国時代に作られた伊香保温泉の石段は、昭和55年の大改修で現在の形になりましたが、平成に入った2010年にはその石段を増設する工事が行われました。全部で365段になった石段は、「1年365日にぎわって欲しい」と商売繁盛の願いを込めて縁起を担いだものになっています。石段を増設しただけでなく、広場や「湯滝」なども新しく作られ、増々、伊香保温泉は多くの人が訪れ、賑わいをみせています。石段街と呼ばれる伊香保温泉の石段は、上りながら楽しめるものがいろいろあります。石段街にはたくさんの饅頭屋が軒を連ねていますが、温泉地で良くみられる茶色の温泉饅頭は伊香保温泉が発祥です。石段の途中に設けられている足湯に浸かってのんびり足を休めながら石段を散策し、かつて訪れた文人や文化人のように、伊香保温泉の400年の歴史を感じてみませんか。